神奈川甲斐犬舎では「甲斐犬」という犬種のイヌ専門のブリーダーとして
神奈川県湘南で繁殖を手掛け、流通を行っております。
当犬舎では今までにJKC(ジャパンケネルクラブ)のチャンピオン犬を輩出してきた実績があります。
甲斐犬を飼いたい方、検討している方、お気軽に問い合わせください。
甲斐犬とは
甲斐犬は、皆さんご存知の通り甲斐の国、現在の山梨県原産の犬です。アルプス連山の厳しい環境の中を生きてきたこの犬を、土地の人は甲斐虎毛犬と呼んでいたそうです。この犬にまつわる幾つかのお話のなかの一つをご紹介しましょう。
甲斐虎毛犬と呼ばれた時代から現在まで
この話の中の甲斐犬は、山梨県の南アルプスに深く分け入った芦安、早川奈良田、そして西山の深い山中の集落での伝説話と聞いています。この集落には山仕事をしている人達が多くいました。
毎日山に入り仕事をしては、昼には弁当を食べ、また仕事に励み、日が沈む前には集落に戻る生活をしていました。
その山に入って来る人達を遠くの方から見ているものがいました。それが今に存在する山犬、甲斐犬だったのです。
用心深い甲斐犬は、初め山仕事の人達の昼食風景を遠目に見ていましたが、時を重ねる毎に恐る恐る近寄ってくる様になったのです。暫くすると、人から昼食のおかずをもらうようになり、やがて距離を置きつつ人の後について、集落の近くまで来る様になりました。しかし、彼らは安全距離を狭めることはなく、山に帰っていくのでした。
度重なる毎に人に近づき、やがて集落に入って人に飼われるようになったと言うことです。
甲斐犬好きな私たちの手元に、とても貴重な資料があります。大切に保管なさっていた方よりの資料でした。
山梨県に昭和の初期、甲斐犬について真剣に取り組まれた方がいたことは、甲斐犬に関係している方ならご存知かもしれません。昭和23年、日本犬が注目された終戦直後、日本テレビにて「甲斐犬の特集」を放映した記録があります。甲斐犬の初期の生態について知りたかったのでテレビ局に資料の提供を御願いしたのですが、なにぶん古すぎるということと、当時のスタッフの方々も定年のため誰一人残っていないということでした。残念でしたが手元資料以外のことを知ることが出来ませんでした。
昭和23年頃は、甲斐犬数頭でクマ狩りを行っていました。6人のグループに3頭いれば十分だったようです。
資料によればイノシシの香りを覚えさせるため、生後2ヶ月の仔犬に丸のままのイノシシを咬ませ、イノシシやクマを狩る猟系の血は、生後50~60日の仔犬でも十分知ることができる名犬達だったようです。
当時の写真を見る限りですと、見るからに野性味を残した風貌、鋭いというより研ぎ澄まされた目元から、穏やかな表情は感じ取れません。だからこそアルプス連山の厳しい環境で生き長らえて来たのでしょう。
見る者を魅了する甲斐犬の素晴らしき骨格、性格、気質、持ち味、全ては厳しい南アルプスの風土が作り上げたと言えるでしょう。私たちは甲斐犬が素晴らしいと絶賛していても、一般の方々に「甲斐犬」と言ってわかる人は殆どいません。それに甲斐の国と聞いて、すぐに山梨県や南アルプスを思い浮かべられる方ばかりではありません。この犬を知ってもらうには、説明にいつも時間がかかります。
過日、あるテレビ番組で100匹の犬の種類を写真で見ながら言っていくのですが、97匹目で甲斐犬の写真になった時、言葉が止まりました。甲斐犬の知名度なんて、そんなものなのでしょう。日本原産の犬種は、数える程しかいないのです。
私たちが甲斐犬の飼育、繁殖を始めてから、ゆっくりゆっくり流れた時間の中で、犬たちはあっという間に年を重ねてきてしまいました。年を重ねる毎に、優しい目になっていく甲斐犬たちの口元に、白い毛が見え隠れしてきました。山梨より選りすぐりの甲斐犬たちを連れて来て自家繁殖させ、良い血筋の犬を残そうと努力して来ましたが、また新しい血を入れるときがやってきたようです。
神奈川県の湘南に籍を置く当犬舎の犬たちは、まだ自然の残る湘南の中の国道一号線と新湘南バイパスがぶつかり合う、とても交通の便の良いところにあります。気候は冬は寒いとはいえ、他地域に比べますとかなり温暖で、夏、湘南の海に人が押し寄せる頃はことのほか暑いところです。甲斐犬の本拠地である山梨県、アルプスの気候からかけ離れてしまうのが、とても残念に思われます。やはり風土が作り上げた甲斐犬の毛量や肉付きは、環境によってかなり左右されると思われます。